地上性なまけものβ

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小学校にうさぎは必要ですか? いいえ必要ありません(断言)

あなたが生きていた証に。
サバイバーうさぎ白
画像は今年の2月に撮ったものを再掲。白爺さんらしいブっとした一枚。

先月のある夕方に小学校から電話があり 学校うさぎが亡くなったことを知らされた。一緒に暮らしていたわけじゃないし 一所懸命に世話したわけでもないけど 手元の子たちとの別れと同じくらい凹んだ。手を尽くしたと思えないほど凹みは大きい気がする。

「お別れ式まで保冷剤と一緒に静かな所で寝かせておいてください」と頼んだ。翌日の午後に行ったら もう居なかった。
お別れ式もせず 飼育委員会の子たちもお別れせずに 業者に持っていかせたと。それじゃぁ なんにために居てもらったんですか?なんのために辛い毎日を過ごさせたんですか?白爺さんをなんだと思っているんですか…と思わず教職員に言ってしまった。いままで強い物言いをせずにきたけど さすがに沸騰してしまった。ひとりになって泣いた。

最初の一報の電話でも「全校生徒には来週の朝会で話すので それまでは誰にも話さないでください」と口止めされた。亡くなるってそういうものなのかな。毎日同じ敷地で息をしていたうさぎが亡くなったとなれば 驚いて駆け寄って息をしていない姿をみて言葉を失って…と動揺するものじゃないのかな。淡々と「先週うさぎがなくなりました」と報告して終わりでいいのかな。
うさぎがいない小学校もあるだろうが 学校によっては2〜3うさぎ ひどい場合には多頭崩壊レベルもあるようだ。小学校の数×数倍は 不幸な学校うさぎがいる。
引き取り手がいなくて ふれあい仕事の適正がある犬たちが「ふれあい犬」として各自治体にいる。その善し悪しは正直わからないところだが 個々の学校で飼えもしない動物をおいて不幸な動物を増やすよりは ふれあい犬たちに活躍してもらう方向で検討できないものだろうか。
また 動物の生体を招かずに動物愛護の授業を試験的にはじめた自治体もある。その方向を検討することこそが動物愛護だろうし その検討をしていることを児童に説明することも動物愛護の授業になるように思う。


白爺さんが亡くなったことを書いたり話したりするには 凹みすぎていたのだけれども やっとここに生きた証の日記を書いてみた。いまいる子たちを せめて「より快適に」「より身近に」そして引退させてあげられないならば せめて「最期まで」を求めて行こうと思えてきた。
白爺さん ごめん。
最後に 大好きだったアルファルファキューブを納棺してあげたかったなぁ…。



さいごになりましたが
白爺さんにプレゼントくださった皆様ほんとうにありがとうございました。藁ざぶとん・かまくら・敷き藁・わんこ用トイレ・牧草・ごはん…たくさんいただきました。よろこんで破壊したり食べたり そっぽ向いたりしていました。