地上性なまけものβ

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全文転載記事


(以下 全文転載記事)
chodo's posterous
被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ〜僕の浅はかな経験談〜

阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかもセンター試験の翌日だった。遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVをつけると、阪神高速が崩壊していた。家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に残っている。
その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。
学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校はしていなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに行こうと話をしていた。
下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。
「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。
まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。
寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。
作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。
以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。
ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」
言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。
結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。
配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされていた。実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的に大きな差があったかというと、とてもそうとは言えなかった。
僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。
僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続させる事さえできなかった。
今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。
そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。
結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は違っても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃないかなと考えている。



2011/3/15 追記
沢山の反響ありがとうございました。同じような経験をされた方もたくさんおられたようで、あの時感じた孤独感が今頃癒されております。
僕は上記のエントリーで一年は待ってみようと書きましたが、そんなに待たなくてもいいようです。すでにNGOなどの支援団体が、ボランティア受け入れに向けて動き出しているみたいですね。もちろん募集など具体的に動き出すのはまだ先になるでしょうが。
時間と体と情熱のある人は、そういった「人を動かす人」としっかり協力して、自分の能力を最大限に発揮して欲しいです。もちろん1年、2年、5年、10年スパンで細く長く復興を援助する気持ちもとても大切だと思います。

2011/3/17 追記
東日本大震災:ボランティアの情報共有へ組織…40団体
http://mainichi.jp/select/today/news/20110317k0000e040015000c.html
災害ボランティア情報まとめ
http://vola.sub.jp/


2011/3/18 追記
このエントリーおよびブログは3/23日で削除することにしました。内容の誤解により今後のボランテイア活動を阻害する恐れが出てきたからです。詳細は3/17のコメント欄を御覧ください。 

私がコメント欄に書いたものをコピーしました
↓ 
このエントリーを読んでいただいた皆様
色々とご意見いただきましてありがとうございました。他のエントリーやコメントにも書きましたが、このエントリーはあくまで私の個人ブログに、自戒・懺悔の意味で書き記したものです。もちろんそれが他の方の力になったのであれば嬉しく思います。まさか「善意の炎上」というものがこの世にあるとは思えませんでしたが(笑)。
心配のコメントもいただきましたが、このブログ自体は開設して日も浅く、私自身が有名人になったわけではありませんので大丈夫です。ありがとうございます。
実は私の文章の拙さが原因で、いくつか誤解が生じているようです。自分の思いがすべての人に完璧に伝わるなどという傲慢な考えは流石に持っていませんが、現実問題として弊害を生むのであれば、書いた者として責任をとる義務があると感じています。
いただいたご意見の中で、私が最も深刻かつ意外に感じた誤解は、
「『僕』が、現地ボランティアは害悪だから、素人は現地に行くべきではないと論じている」というものです。確かに私は文章中で、素人が現地に行っても邪魔になるだけだ。と書きましたが、これはあくまで災害発生直後の「救出フェーズ」に「無組織で」乗り込むことの非効率性を書いたつもりでした。これに対して、「いや私はその状況で乗り込んで役に立ったのだ」という意見に対しては私はとても嬉しく感じています。
以前も書きましたが、この問題にはこれという正解はありませんので、全ての判断・経験が平等に尊重されるべきだからです。
しかし、「現地ボランティア自体を否定している」「募金の方が現地ボランティアよりも崇高であると言っている」という誤解は、今後のボランティア行動全体に水を差してしまう危険性を感じました。これが私が深刻に思った理由です。
意外だったのは、私の予想よりも多くの方が同じような誤解をされているという事です。
今後この震災は、「救出フェーズ」から「復興フェーズ」へと移行していきます。被害の軽微だった地域では、すでにフェーズが移行しているかもしれません。その時こそ、時間と体力と情熱のある人は、是非ボランティアに応募して欲しいと考えています。
しかし上記のような誤解を招く表現を、この文章が内包しているのであれば、いつまでもweb上に置いておくべきではないと考えました。
また、今後は今回の震災に関する新しい情報がどんどん入ってくると思います。すでに前回の震災には無かった問題が散見されます。
前回の経験は、震災直後の情報が全くない状況で、情報が蓄積されるまでの「繋ぎ」としての役割を果たせれば、それでいいのではないかと考えます。前回の経験を篩いにかけ、今回の状況と合わせることで、よりよい経験を残して行くべきです。

以上の理由により、このエントリーおよびこのブログは今月23日をもって削除することにしました。引き続き文章のコピーや引用は、それぞれのご判断にお任せいたしますが、ただ、できましたらご活用の際は、〔このエントリーはボランティア自体を否定したものではなく、どうせならより効果的な参加方法を、冷静に模索して欲しい〕という趣旨である事を補足していただけるとありがたいです。
情けないことに、私にはどう言葉を修正すれば真意が伝わるのかが分かりかねますので・・・。
また、マスメディアへの転載はどうかご遠慮下さい。私の大切な思い出の部分もありますので、能動的にマス配信されることにどうしても抵抗があります。どうかご理解下さい。

今回の「炎上」では本当に色々面白い経験をさせていただきました。twitterの友人も増えましたし、facebookも塩漬けにしていたのが強制的にたたき起こす事になりました。様々な業種の方とコンタクトがとれたのも嬉しかったです。みなさんのコメントが消えてしまう事が心残りです。どうかお赦しください。

願わくばこのエントリーを読んで、少しでも多くの若者達が、
僕が挫折したボランティア活動の続きを経験し、苦しみの中に多くの成長と喜びを得られますよう、また一日もはやく被災地に明るい朝がやってきますよう
心からお祈りしています。